このページでは私がどんな人なのか?を紹介します。

氏名 中宗 豊(なかむね ゆたか)
生年月日 1986年8月3日
好きなもの 昼寝・漫画・運動・珈琲・お酒

家族との時間を大切に

長女りおんの全中in福井2024年8月

家族との時間を大切にしています。

開業当初は「自分で事業をしてるんだから仕事を最優先にするのが当たり前」って思っていました。

でも私の尊敬する先生と出会い価値観が変化していきました。

先生が言っていた、「仕事ばかりしていたら、子供が抱っこさせてくれないくらい大きくなっていた、、、なんてことがないようにね」という言葉に衝撃を受け、自分にとって本当に大切なものは何か?を見つめなおしました。

今ではいくつかの事業が軌道に乗っていて、おかげさまでお金と時間にもある程度の余裕があるので家族との時間を最優先にすることが出来ています。

好きな事をビジネスに

整体院Smile

2009年に開業しました。私のメイン事業です。学生時代にサッカーをやっていて、その時の怪我がきっかけで治療家になることを決意。延べ5万名以上の施術をしています。今も週に2~3日は現場で治療を続けています。

ひたちなか通信

地域を盛り上げるための活動としてポータルサイトを運営。地元のつながりやウェブサイト制作・運営のノウハウを活かして地域イベントを開催したり、地元企業の業績アップのためのコンサルティングサービスも提供。

ココ活

これから起業したい方、起業はしたものの自分のやり方があっているのか不安な方、ひとりで事業を進めていくことに孤独を感じていたり、仲間やコミュニティで情報を共有したい方にココ活というコミュニティを運営。

そのほか、先生とJVという形で治療院やサロン向けのコンサルティングをさせて頂いたり、WEBサイトの制作などもしています。

幼少期

1986年8月3日、14:01に生まれました。4198グラム、身長55,5センチ、分娩所要時間8時間だったそうです。

ちなみに、この時親父は床屋に行ってたとか、、、笑

男三兄弟の次男として生まれました。

霞ケ浦の近くの田舎で育ちました。

兄や友達の影響からカブトムシやクワガタを取りにいったり、釣りをして遊ぶこともありました。

釣りは正直好きじゃなかったです(笑)ルアーやワームで釣ったことはありませんでした。リールの糸が絡まってしまうこともしょっちゅうありました。。。

霞ケ浦にブラックバスを釣りに出かけたことは何度もありましたが1回も釣れたことはありません。

ミミズやエビなどのエサを使って、やっと釣れたと思ってもブルーギル(笑)

小学3年生からサッカーを始める

これまた兄の影響で3年生からサッカーを始めました。

結局サッカーは高校生まで続けました。6年生の時に鹿島アントラーズのジュニアユースと試合をしたことがあり、たしか21‐1くらいのスコアで負けた記憶があります。

その時のジュニアユースの10番の子とは高校で再会し同じクラスになりました。お互いに当時のことは覚えていました。

私のチームがよっぽど弱かったからでしょうね(笑)

腰痛でサッカーが出来ない日々

中学生のころから少しずつ体の痛みを感じるようになりました。

股関節が痛くなったり、腰が痛くなったり。。。

サッカーをやっているときだけではなく、授業中も痛みを感じていました。

ずっと座ったまま授業を受けているのもきつかったですし、授業が終わって立ち上がるときや教室を移動するときも、うまく腰が伸びずに歩くのが苦労しました。

このころから、整形外科や接骨院などには通っていましたが腰痛が改善されることはありませんでした。

高校に入り1年生の頃はそれでも何とかプレーすることが出来ましたが、2年生になると症状が悪化しサッカーをすることが出来なくなってしまいました。

ちなみに私が高校1年生の時、1つ上の学年の試合に出ていました。1学年上の新人戦の決勝戦で戦った相手チームの1つ学年上の先輩がいたのですが、、、

この方とも縁あって大人になってお付き合いをさせて頂いています(笑)

人生経験がどこでどうつながるか分からないものですよね、、、

さて話を戻しまして、当時の私はマッサージや整体院など様々な治療を受けましたが改善されることはなく。

当時は本気で、

「この痛みとは一生付き合っていくしかないんだな」

って思っていました。

将来は学校の先生になったら?なんていう親の軽い一言があって何となく先生になるのかな?って思っていたのですが学力が足りず、、、笑

自分が腰痛だったこともあり、自然と柔道整復師とか理学療法士とか整体師などの進路を考えるようになりました。

その時にあるカイロプラクティックの先生に出会い、治療を受けたところ今までの治療とは受けた感覚が違いました。

すぐに治ったわけではありませんでしたが、「この治療を受けていけばまたサッカーが出来るかも」という希望の光が見えて嬉しかったのは今でも覚えています。

そして治療を受けていく中で症状が改善しサッカーが出来るところまで回復しました。

そしてその先生に弟子入りするような形で治療家を志すようになりました。

死ぬほど勉強した学生生活

高校まではサッカー一筋で勉強という勉強をしてこなかったのですが、解剖学や治療の技術に関しては死ぬほど勉強しました。

もちろん、実際に死ぬことはありませんでしたが、、、笑

1日10時間以上は机に向かっていました。今振り返っても「よくあれだけ勉強したよなー」って思いますし当時の自分を褒めたいです。

腰痛がきっかけで治療家になることを決めたので、自分と同じように痛みで困っている人や、痛みがあることで自分がやりたいことが出来なくて悩んでいる人の力になりたいという想いが強かったから勉強を継続することが出来たんだと思います。

きつい下積み生活、、、

最初はタオルたたみや洗濯などから始めました。

もちろん最初は患者さんに触れることはできません。

治療院の整理整頓や患者さんへのあいさつ、お茶出しなど、出来ることを一生懸命やりました。

そしてその合間を見て先生や先輩たちがどんな治療をしているのか?どんな症状の患者さんが来院されているのか?を学びました。生意気にも自分だったらこういう治療をしたいな、なんてことも頭の中でイメージしながら治療を見ていました。

めちゃくちゃ厳しい修業期間でしたが、無事にやり遂げることが出来ました。正直思い出したくないくらい本当に大変な時期でした、、、笑

2009年整体院を開業

つらい下積み生活を経て23歳の時に独立開業しました。

これまで延べ5万名以上の患者さんを治療してきた中で、筋肉や骨格のケアはもちろんのこと精神的なケアの重要性を感じる機会も多くありました。

痛みはネガティブな感情なので、仕事や家庭でもついついネガティブな思考になりがち。

そういう患者さんをたくさん見ていく中で、コーチングを自然と取り入れるようになっていきました。

個別でコーチングの依頼をされるように、、、

元々は治療をしながら会話をする中でコーチングをしてきたのですが、ある時からコーチングだけを依頼される機会が増えて行きました。

元々相談を受けることが好きだったこともありますし、コーチングをしていく中で表情がネガティブからポジティブに変化したり、自信を取り戻していく姿を見てとてもやりがいを感じていました。

こんな僕のコーチングでも求めてくれる人がいて、それを私自身も楽しみながら提供できるならコーチングは治療と分けて提供しようと思い立ち上げたのがこのサイトになります。

もし、相談したいけど誰に相談すればいいか分からないとか、家族や友達、職場以外の誰かに話を聞いてもらいたいとか、第三者の客観的な意見が欲しいという事であればぜひお気軽に相談してくださいね。

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