漫画「ダイヤモンドの功罪」を読んで課題の分離について考えてみる

「この本面白いよー」っておすすめされたのがこちら。

ダイヤモンドの功罪という漫画です。

主人公の男の子がちょっと稀有な悩みを持ってるんですよね。

何となくわからなくもない悩みですが、さすがにそれは考えすぎじゃない?とかね(笑)

まぁ、でもここまで極端じゃなくても私自身も似たような悩みを持っていた時期もあるなって。

勝負事が嫌いな理由もここにあると思うし。

でもこうやって漫画として主張されると、課題の分離だなってことに気付くことはできましたね。

その課題は最終的にだれの責任か?

ざっくりというと主人公の少年は運動神経バツグン。

何をやってもうまくいってしまうから、自分が良い成績を上げるってことは誰かが負けてしまうということの裏返しでもあるわけですよね。

誰かが負けてしまうことに対して強い罪悪感を持っているんです。

だから相手のことを考えるとその運動を続けられなかったり、わざと負けてあげたりしてしまうわけです。

ここで課題の分離の登場です(漫画のストーリーに課題の分離を持ち出すあたりがシュールでおもろいかなと)

相手が負けてしまうのが可愛そうだからわざと負けようとするというのは完全に課題の介入ですよね。

負けた結果、相手の子がどう思おうがこっちには関係ない話ですし、その結果どんな行動をされたりどんなことを言われても自分は何も関係ないわけで。

相手の感情や言動はコントロールできない範囲です。

そのコントロールできない範囲をコントロールしようとすればするほど感情が重たくなるし、苦しくなったりつらくなってしまう事例がふんだんに出てきます。

そこで思うわけですね。

「課題の分離は大事だなー」って(笑)

そして他人の課題に介入しないこと。自分の課題に介入させないこと。

そんなことを感じた、ダイヤモンドの功罪第1巻でした。

続きが楽しみです。


ダイヤモンドの功罪 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

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